久しぶりの連休の初日。
漱石さんを1人、ドブに棄てて参りましたwさて、そのドブと言うのが……
「日の丸・君が代」ホットライン2007大阪集会への寄付金だ。
例のビデオの上映があると言うことで、
小林少年バリに潜入してみた訳だ。
13時開演予定だったので精々2時間程度と踏んでいたのだが、何の何の
終わったのが16時45分そりゃぁもうぐったりしたよ、電波にあたり過ぎて……_| ̄|○いやマジで。
なにせ
俺だけ異分子なんだからw
恐らく殆どが
狂教職員っぽい連中で、大阪集会に参加しに来たであろう人たち。
その数、およそ150人。
俺だけが(他にいたかも知れんが)ビデオを観ることを主目的にした人間だったんじゃなかろうか?
さてさて、この上映会の大まかな流れはこうだ。
主張:黒田伊彦さん(ホットライン大阪事務局・桃山学院大学教員)
映画:「君が代不起立」(ビデオプレス)87分
講演:河原井純子さん(東京教員・「君が代」不起立での被処分者)
報告:各地域・団体からのとりくみ報告
質疑応答:時間が押したためなし
17時過ぎからデモ(会場から梅田OS劇場前まで)
残念なことにデモには参加していないが、それ以外はキッチリ見聞きしてきた。
ツッコミと笑いを堪えながらなwでは、それぞれを簡単に記しておこう。
1)主張:黒田伊彦さん(ホットライン大阪事務局・桃山学院大学教員)簡単に書いて、
天皇制全否定、天皇制こそ差別の源とでも思っている既知の外の人。
レジュメから引用しよう。
現代の象徴天皇制の「皇害」として、人々がからめとられているものに「元号」がある。
~中略~
そもそも、永遠に流れる時間を「明治、大正、昭和、平成」と区切っていくことは、時空を支配する「神」にも等しき超自然的な力を天皇に認めるという、「現人神」信仰の誤った行為である。天皇は「天」即ち宇宙の支配者として道教的ネーミングを文字通り認めることになってしまう。
現代の日本人はそんなこと考えてねぇって。
精々、元号=伝統文化ぐらいなもんだ。
他にも「
建国記念日(2/11)は天皇制の存続を誇示するデッチ上げの日」だとか、「
けじめの語源は「毛締め」であり、マゲを結う紐が身分によって明確に決められていたことに由来し、身分差別が本来の意味」だとか、なかなか愉快な芸を披露してくれた。
ちなみにgoo辞書で引くと
けじめ けぢめ
(1)あるものと他のものとの相違。区別。差別。
「善悪の―」
(2)道徳や社会的規範に従って言動に表す区別。言動における節度。
「公私の―」「師弟の―」
(3)次第に移り変わってゆく物事の、前とあとのちがい。
「うちつぎて、世の中のまつりごとなど、殊にかはる―もなかりけり/源氏(若菜下)」
(4)隔て。しきり。
「こなたかなた御几帳ばかりを―にて/源氏(若菜下)」
――を食・う
人から差別される。ばかにされる。
「汝等に―・ふ様な、そんな二才ぢやあねえぞ/歌舞伎・三人吉三」
――を付・ける
(1)区別をはっきりさせる。
(2)過失や非難に対して、明白なかたちで責任をとる。
確かに「けじめを食う」と言う使い方をすれば差別すると言うことだろう。
しかし、一般的な意味や使われ方は(1)(2)であり、「けじめを付ける」であろう。
更に、
こちらを見てみると、
Googleでひくと
◎囲碁用語の「闕(けち)」から来たとする説があります。
◎平安の時代に、好いたおとこに袖にされた女性がその腹いせから、 自分の長い黒髪で寝ているおとこの首をしめて「毛締め」をつけたこと に由来するという奇説もあり。
まず、けじめのめは「目」で境、境界を表わすと考え、けじは、「闕(けち)」を取る。闕は、「けつ、完全に備わっているべきものが、足りないこと」なので、合わせて「あるべきものとないところの境界をはっきりさせること」となります。抜けているところの境界。「けじめをつける」とは、 「何が抜けているのか、足りないのかはっきりさせる」こととなります。 けじめの語源は、闕目(けつめ)?
などと書いてある。
実際にGoogle先生に「けじめ 語源」で聞いても「毛締め」は初めの数ページでは出てこなかった。
いや~、そうまでして天皇制にケチを付けたいのかねぇ?この同和教授は。
2)映画:「君が代不起立」(ビデオプレス)87分うっかり6,000円も出して買ってしまいそうになるほどツッコミどころ満載のDVD、いやマジでw
1番のツッコミどころは、
このころから撮ってたのかよっ!ってとこか。
他には2点ほど
自分の考えを改めることになったことだろうか?
まず、とっとと更新制にしてしまうこと。
更新制については、以前は6年ぐらいが妥当かと思っていたが、改める。
3年ぐらいが妥当だろう。次に、民間企業での経験を最低3年と言っていたが、これも改める。
最低5年(それも連続した期間で)は民間で揉まれてこい!3)講演:河原井純子さん(東京教員・「君が代」不起立での被処分者)この人は根津氏の仲間で上のDVDにも結構出ている。
しかも今時携帯もパソコンも持っていないそうだ。
向学心が欠落しているのだろう、きっと。人生、日々是勉強だぜ?
そのためのツールを使おうとは思わないのかね?
民間企業のオヤジ達は必死で使えるように努力してたぞ(必要に迫られてだが)
ここまでざっくりと書いてきたが、もう少し全体を踏まえて考えてみたいと思う。
まず、この大会の流れの中、主張の中で感じたのは、その根幹に天皇制の否定が存在しているように思えるのだ。トップの黒田氏の露骨な主張はともかくとして、根津、河原井両名の主張の中にも見え隠れしている。
まず、根津氏だが作中で、「短大の頃に読んで知った歴史の事実に驚いた。そして更に歴史を知ろうとした」と言うニュアンスのことを語っていた。恐らく(あくまで推測だが)従軍慰安婦か南京大虐殺あたりではないだろうか?
「天皇の名のもとに行われた戦争」を嫌悪した結果、現在に至るのであろう。
河原井氏にしてもその発言から、「日の丸・君が代」=ナショナリズムの向上=軍国主義=天皇崇拝みたいなものを感じた。
だから「国旗・国歌」とは言わないのだろう。
では国旗儀礼を行い、頻繁に国歌斉唱する(であろう)日本のボーイスカウトは軍国主義で天皇陛下万歳な人たちの集まりなのだろうか?
以前、
国旗に関するエントリーをアップしたが、その気持ちは今も変わらない。
右と言われる俺でさえ
戦争は反対である(但し、殴られたら殴り返す)
ここまで書いて面白い記事を見つけた。
君が代を歌う事に拒否する理由(教えて!goo)私の見解なのですが、
No.19さんの意見にほぼ同意しますが、一部意見を付け加えますと、君が代反対派の大元の思惑(共産党や日教組など)は、君が代反対に名を借りた天皇制反対の運動だからではないでしょうか。
新国歌を制定したらという質問者の方の意見がありますが、同様の意見がちらほらと耳にしつつも、一向に形となって現れないのは、国歌反対運動の旗振り役である日本共産党、ないしは日教組にその意思がないからだと思われます。
共産主義に基づくイデオロギー闘争が世界的レベルで終結しつつある現在、天皇制反対は彼らの存在を意義づける数少ない動機となっています。
彼ら自身が存続するためにも、国歌反対運動は続けなければならず、そのためには国歌は君が代でなければいけないわけです。
もし、仮に天皇制と関係ない新国歌が成立してしまえば、国歌反対運動を継続できなくなり、彼らは天皇制に反対する武器を失ってしまうわけです。
よって国歌反対運動は、反対活動を続けるための運動である以上、非難はすれども根本から解決しようとする意思は、末端の運動員にはともかく旗振り元には無いと私は考えています。
これ以外にも興味深いものがあるので一読をお奨めしておく。あと
ここも。
少し横道に逸れたw
結局のところ、彼らは表向き「強制」に対して反対しているが、その実、彼ら自身が彼らの思想を生徒に、ある種の押し付けをしている訳だ。
大半の中高生は我々のように掘り下げて考えることはしない。
教職員が思想・信条の自由を掲げるのは、一向に構わない。が、黙ってろ。
口を開いた瞬間から、それらの思想は無知な中高生にとっては「強制」と何ら変わりは無い。
学童にとって害悪にしかならんな。
そう言う主張は私塾でも開いてやってくれや!結論はいつもこれになるな。
<関連>
カテゴリー:教育
スポンサーサイト
- 2007/02/12(月) 04:25:50|
- 教育|
-
トラックバック:0|
-
コメント:2
お疲れ様です、、、
過度の電波浴は精神の健康の為には危険ですね、程ほどに「絶滅希望種」の観察は命がけになりかねませんし(公安が参加者の写真を撮っていたりしますし、最近は動画も、)
- 2007/03/04(日) 11:48:48 |
- URL |
- ざんぶろんぞ #8RgP1mkg
- [ 編集]